収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年7月16日

さて、ボクの部屋は敷地内でも一番端の棟の一階、さらに入り口から一番奥の奥…つまりは大奥にあります。部屋では座った位置からは空が見えません。ぼんやりと外を見ていると自分がどこにいるのかわからなく(なんだか空を飛んでいるような気分に)なります。

南に向いてる窓を開け〜♫ると近くに体育館があってそこからお経が聞こえてきます。お盆に墓参りに帰れない人たちが体育館でご焼香をしているんでしょう。指導日には神教、仏教、キリスト教…それらの教誨師が来て希望者には宗教活動(この表現であってる?)を施します。レリジャス方面に充実した祈り豊かな場所なんです。

繰り返しますが今日は月に2回ある矯正指導日。作業は休みとなり、部屋にいるとラジオから録音教材とテレビからの改善指導ビデオが交互に流れてきます。ラジオは府中にいた時と同じものが使いまわされて(きっと作成されたのは昭和だと思う)、ビデオはかなり昔の「ガイアの夜明け」だとか「プロフェッショナル」だとかを放映するだけというかなりやっつけな矯正トレーニングです。ボクもそれにきちんと呼応して、かなりやっつけな感想文を書いたり、ワークブックをしたり………とてもくだらない時間です。罰を受けている立場で反省をするための時間をわざわざ配慮してもらえるなんてなんて手厚いんだ…とは思いません。少なくともボクは思わない。だって反省なんかしてないし。反省してないのに反省文を書かされるのは、確かに罰です。刑務所ってホントよくできてます(嫌味)。テクニックだけを求められ人格は必要のない工場の作業の合間に人間性や社会性を学べったって、全体主義個人主義のハイブリッドなんて夢物語なのではないでしょうか。ボクは今後1秒たりとも反省なんかしてやるつもりはないですし、それを完遂する自信はあります。

かと言ってボイコットするわけにはいかず(懲罰になるし、仮釈にひびくし)、ぐちぐち愚痴りながら感想文の用紙を埋めています。まあ、たとえこの感想文に「ボクは反省しません」と正直に書いたとしても咎められることは多分ありません。書いて提出したという行為のみが評価されるのです。まあ読解力ある刑務官なんてあんまいなさそうだし、うまい反省文書けたからって再犯するやつはするだろうし。なんだかなあ。(続く)

 

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バーバラ・N・ホロウィッツ/WIDL HOOD 野生の青年期

この本よかった。なるほどなと思った。よく生き延びてここまでこれたなと自分を抱きしめてあげたくなった。