収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年6月10日

ミサイルが撃ち込まれて独房が爆破されないかと願う。

傷ついた他の収容者を介抱し、その功績が認められ恩赦が叶わないかと祈る。

無益な妄想に浸る。

暇すぎて希望しか浮かばねーぜ。

まあ、日本が戦争になったら、ためらわず国外脱出するだろうが。非国民、恥知らずと後ろ指を指されようがかまわない。

そういうやつなんだから仕方ない。

 

独房ですね。独房。一人部屋ともいう。ここは食事を自分のペースで食べれるのがいい。周りの食いっぷりにせき立てられることがない。ただし、今は口内炎が舌の右端に現れてきやがって、こいつのせいで唾を飲み込むのも辛い。あー早く口中で食事の旨みを味わいたい。

 

マスクがやっと布タイプから使い捨てのものになる。世間ではマスクレスになりつつあるというのに。このタイムラグ…錯誤具合…刑務官は刑務所と一般社会とのズレを何とも思わないのだろうか。思わないんだろうなあ。所詮公務員。規則という壁の前に個でできることのジレンマを感じなくさせるセンスこそが任務を続けるための必要条件。そもそも職業として公務員を選択するという保守タイプの集まりに社会変革を期待するのが間違っている。日本国民であると一番自覚ができたのがこの収監生活だったという悲しみ。

ボクは生まれる国を間違った。

 

今日は矯正指導日だ。ワークブックを手に取る。

問題行動のパターンを見つけようとそこには書いてあった。見つけてやろうじゃないか自身の行動特性。

ボクは常に捕まりやすい行動をしている。その自覚はある。使った時にもふらふらほっつき歩いてしまうから。引きこもり体質のジャンキーが羨ましい。

特定のルート。特定のドラッグパートナー。特定の場所。特定の時間。リスクを回避するスタイルを見つけているやつらは捕まらない。

捕まることに対する用心深さに乱用から遠ざかるヒントがあるのではないか。そう思うもここにはその用心深さを獲得したようなモデルはいない。長く使っていても捕まったことのないやつってのは結構いるし、出たらよく彼らについて観察してみよう。

コントロールできる者は法の目から逃れられ、コントロール不全になった者は捕まる。つまりは依存となった病者は捕まるってわけだ。

とりあえず、捕まってはいけないよなあ。薬を止めるためには捕まっちゃいけない。それは紛れもない事実だ。

 

ラジオからは「本気の反省」について語る元受刑者の熱い声。けれど、結局どうすればいいのかは伝えてくれない。「ダメ絶対」って言われてもなあ。「ダメ絶対」って言葉は不都合で不愉快な事実に対しての社会の無力さを紛らわす慰めの呪文でしかないんだよね。

やってしまった過去の罰を懲役という罰という形で受けている。なのになぜ未来の再使用防止の責任まで今課せられなければいけないのか。

贖罪意識が低いと言われればそれまでだが、仮釈のためだけに反省面かましてどうなるんだろう。

やる気ある風を装えていた前刑の時の方がまだマシだったのか。あの時は少しは反省の効果を信じられていたもんなあ。

今は「やる気ありません」的本音さえ隠せていればいいやと思う退行っぷり。

反省体質じゃないんだろうなあ。反省に向いていないんだボクは。まずもって必要な気がしない。そもそも反省するほどのことだと思っていない。これまでも反省しろと求められるたびにやってきた。でも意味を感じなかった。成果もなかった。反省してどうするんだという疑問だけを手に入れた。もう先も限られてる。向田邦子も言っている「反省するのはやめよう」と。ボクはもう体と心と頭一丸となって反省を拒否することを決めた。

 

差し入れ本が大量に届いた。与えられる愛に応えうる度量をもちたいんだけど…

許してほしいなあと思う。だけど…許してほしいと思いながらも、傷つけた相手にさらに許してほしいなんて求めるのはわがままな気がして、許してほしいなんて言えない。

 

 

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マイケル・バード/アーティストの手紙

言葉よりも上手に世界を表現できる手段をもつ者たちの言葉によるコミュニケイトは、なんだか可愛い。