朝一番でガリに直行。2ミリの丸坊主。スカルプシャンプーをしたみたいにスースーして気持ちいい。心身ともに懲役になった感が一気に強まる。
午前中は分類のため別の階に連行された。
会議室のようなその部屋には長机が横に2列、縦に5列並べられており、そこにはすでに10名近くの収容者が座って待っていた。
部屋の端で予備調査のようなものが行われる。障害者手帳は持っているかなど、結構センシティブな内容も突っ込んできかれているのが筒抜けだ。ちょっと嫌だなあと思っていたが、自分のときにはその辺りの項目は全てスルーされる。それはそれで「なんであいつは何も聞かれないんだ?」と思われてやしないかと不安になる。自意識過剰だ。
しばらくして別の小部屋に移動する。保護観察所から来たらしい若い男が色々と聞いてくる。
色々きいてくるが1番聞きたいのは「どうして覚醒剤を再使用したのか」という質問なんだろう。
この問いにはいつもうまく答えることができない。
再使用のきっかけになるわかりやすいエピソードなんてないしなあ。
ボクは「コロナで自助グループなんかが軒並みオンラインになって、参加しなくなったからです」と答える。
面接官の若い男はなるほどといったようにうなづいた。
本当にコロナのせいなのか?コロナのせいにしておけば、皆んながうなづいてくれるから、とりあえずそう言ってるんじゃないか。
自分でもよくわからない。本当に正しい答えは「わかりません」なんだろう。
けどそういってしまうと自分のやったことに対して真摯に向き合えてないと評価され、過激な刑務所行きになってしまうような気がして…
相手が納得出来そうな「コロナのせい」に落ち着く。
緊急事態宣言中であってもやっている自助グループの会場もあっただろう。けれどそこには足が向かなかった。友達とも遊べず、外出も制限されて、余暇を全く充実できてない生活を強いられながら、でも自助グループだけは行こう!って気持ちにはならなかった。なれなかった。
娯楽あっての自助グループ。feat感覚なんだよなあ。ボクにとっての自助グループって。
ってことはやっぱりコロナの影響もあったってことか!と時間差でボクはボクの考察に納得し、「コロナのせいでいいんだ」と心の中でうなづいた。
部屋に帰ると新しい作業が待っていた。
今日からの作業は箱作り。両面テープの使い方は体が覚えている。
さっきの再使用の理由について再度考えてしまう。
元々、自助グループのおかげでやめれているという実感を持ってないのに、自助グループに行かなくて再使用したという理由づけは、詭弁であるのではないか。思索が振り出しに戻りそうになる。が、この案件は「コロナのせい」ということでカタがつけたはずだ、と自分に言い聞かせて、単純作業に没頭することにした。
スタイン・ベック/怒りの葡萄(下)
そりゃ腹も立つよなあ。どうして今の日本人はあんまり怒らないんだろう。誰もがひとつふたつのマイノリティを抱えているはずだろうに。そのマイノリティで共感しあえばそれは「力」になるはずなのに。