起床前、静まりかえった舎房に響く報知器。
続いて「風邪薬出せーーー」とは、おっさんの怒号。
おいおいそれは無理だろう。
主義主張はルールの中でやっていただきたいものだ。
……………。
きっと自分も世間では同じように思われていたんだろう。
他者の言動を見て自らの愚かさに気づく。
と同時に、ルール守る生き方を標準としない者たちにとっては、ルールを守ることが罰となりえる刑務所の合理的あり方を知る。
なるほどなあ。
午前中、考査の面接の呼び出しがある。
若い女性の面接官だ。
いつものようにライフストーリーを語る。
セクシャリティについては東拘からどうせ申し送られているだろうから隠さない。「男役ですか?女役ですか?」聞かれて戸惑う。もちろん、タチウケを尋ねられている(つまりはアナルが使えるかの確認がしたいのだろう)ことは理解できるが、「どっちともが男だからいいんだし、役を演じてるわけではないんだけどなあ」と思ってしまった。そっけなく「どっちもやれますよ」と答えておいた。はい!独居決定。覚醒剤を使うゲイでHIVならもう100以上の確率でアナル使用可であると判断して間違いない。とは教えてあげなかった。
「家族関係は?」と踏み込んでくる。これを聞いてどうするんだろう。もし「拗れて困ってます」って言ったら介入してくれるのだろうか。聞くだけ聞いて犯罪の起因と結びつける。そんな面接官が納得するためだけの質問が多すぎる。だからボクは「普通です」と答える。どの辺りの普通に落ち着くかは、面接官の普通の次第。「普通」は便利だけれど、とても危険な言葉である。
病気について「覚醒剤後遺症ですか?」なんて聞いてくるから「依存症です」と訂正する。
ダメだなこの面接官は。
覚醒剤の後遺症は、出所後の世間からの無理解偏見のことを言うんですよ。ボクは「依存症の治療は受けれるんですか?」と意地悪に聞いて見る気さえなくしてしまった。
部屋に戻ると官本のカートが回って来た。コロナ対策で図書工場も閉鎖していたため、私本の検閲がなされず、読むものがいっさいなかった。そんな日々に与えられる3冊の書籍はまさに文明開化に等しい。エンタメ小説と純文学とノンフィクションをバランスよく選ぶ。エンタメに生きると命を縮め、純文学に生きると不幸になる。だから、ごく当たり前のオーディナリーノンフィクションライフがやっぱ無難なんだよなあ。最近つくづく思う。
夜になる。窓の外は闇。鉄格子も見えなくさせる密度の濃い黒。誰がのぞいてたってわかりゃしない。そんなこと…眺めるための窓ではないことは百も承知なのについ顔を向けてしまう。
濁音からはじまる日本語にはロクなものがないらしい。例えば、バカ、デブ、ブス、ゴミ、ガキ、グズ、ゲロ、ズル…
確かになあ。濁音からはじまる「ボク」を多用する「ボク」はロクでもなさの筆頭格なのかもしれない。
花村萬月…土に落ちた血の味がする小説を書く男。