「ダメ絶対!」って干渉してくる言葉だからやなんだよね。
「私はやりません」って態度の人には「あーボクもそれがいいと思いますよ」とドライな距離感でいられるんだけど、「ダメ絶対!」には「あなた間違ってます」ってニュアンスが含まれてるから、そうなるとのんびり静観してるわけにはいられず反論したくなるんです。勝手にオレのリングに上がって来んなよって思ってしまうんです。
だ・か・ら…どうしてもアディクトへ助言したいんだったらアイメッセージで伝えてもらえるとありがたい。よろしくご配慮願うぜ。
薬物事件について世間がヘイトを浴びせれば浴びせるほど、頑なにボクはボクを甘やかす。
これまでどれだけ使っていようが、これからどれだけ使うことになろうが、今やってないんだったらそれで十分。ブラボー!と喝采してあげればいい。もっと正直になれば、今使っていたって、使っている自分を抱きしめてあげれる、その度量があればいい。そのくらい激甘で対峙している。
北風も太陽もボクのコートを脱がすことはできない。ボクの衣替えのきっかけはボクだけが決めることができるんだ。
アディクションについて語るとき、ボクは怒った口調で伝えたくない。悲しい目をして伝えたくもない。柔らかに爽やかに伝えれる自分でいたい。まだ今はできる自信はない。だけど、いつかできる予感はある。
希望をもつには未来に対して激甘になる必要もある。
甘い風が吹く場所を作っていきたい。
ラジオからは、大臣が数千万円の賄賂の罪で二年半の求刑だって。なんでオレと同じ程度の罪なんだ。憤る。社会が嫌になる。
こういう理不尽な報道ばかりだからニュースを避けるようになる。痛い部分に触れないように心の皮膚が厚くなる。このままだとボクは出る頃には、甲羅だけがどんどん大きくなって頭も手足も出せなくなってしまう亀みたくなってしまうかもしれない。
まあいいけど。
椎茸が大量に入った汁が出る。一瞬いってみようかと箸に手をつけたが、出汁からの香りにノックアウトされる。椎茸臭が充満してしまう。懲罰覚悟でこっそりトイレへ廃棄。窓も開ける。そうして一息つく。
無理して嫌いなものを食べるほど、ボクはボクを失っていない。嫌なものは嫌と言える気持ちはいつまでも抱きしめていたいものです。
土曜は穏やかだ。穏やかなのは嫌いじゃないが、時間の流れが緩やかになるのがたまに傷。そして自分の体の声が聞こえ過ぎるからトイレに行く回数が増える。
サリンジャーが「ライ麦畑でつかまえて」なら…ボクは「歌舞伎町でつかまって」って小説書こうかなあ。