達磨を磨いている。
達磨を磨いている。
こぶりな銘菓ひよこのようなフォルム。
コントで使う付け鼻に見えなくもない。
集中して磨く。達磨に魂を潜り込ませる意気込みで。
達磨を磨いていると精力がみなぎる(ような気がする)。
つまりは勃起しがちってこと。
達磨だもんなあ。仕方ない。
独居でよかった。
性的妄想力を性的処理以外の方向に集中できたなら、歴史的名作の一つや二つ簡単に書けてしまえるのではないだろうか。
逆にエクスタシーの総体は歴史的名作に匹敵する価値があるとの言い換えも可能であろう。
にしても、達磨磨きは奥が深い。
一日中磨いてもたった二体しかできない。
その二体ですらウオーズマンの頭みたくピカピカにはならない。
納得の出来には程遠い。
作業の途中でガリに呼び出される。
部屋の出入りのたびに行われるボディチェック。しゃんしゃんと体のラインを軽くなぞって終わる刑務官もいれば、グッと体を寄せてきっちりとチェックする刑務官もいる。その目元が涼やかだったりするとボクは瞬きできなくなる。自分がゲイであることを思い出す。
5ミリ刈りの青白い頭で部屋に戻ると、むせかえるような畳の匂い。湿った香り。枯れ草のなかに住んでいるようだ。
窓には結露がびっしり。部屋中のものがまんべんなく濡れているような錯覚を覚える。
作業後は手紙を書く。
箇条書きの日記はつけているが、ふつふつと湧き上がる鬱屈をノートは受け止めきれない。日記はゴールではない。
おさまらない思いはいつだって塀を飛び出そうとする。
だからボクは手紙を書く。
ドラッグの描写のところだけ、フィクションでなくノンフィクションの読み方になる。面白いとかそうでないとかを超えて、リアルかどうかを感じようとしてしまう。アディクトだなあと悲しく自覚させられる。