収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年6月17日

今は工場出役者用の舎房の部屋を出て、懲罰者や懲罰調査対象者、満期釈放前の受刑者などの訳ありどもが集まる舎房に移りました。

ここは全て独房で、廊下の片側にずらーっと部屋が設置されているため収容者同士は直接コミットすることはできません。けれど不穏な空気はしっかりと伝わります。心穏やかならざる者のエリアらしく、今もズドンと腹の底に響く烈しい音が。けっこう近い。鉄扉を蹴り上げたようです。扉につけられたマグネットが吹っ飛んでカラカラと廊下に転がっていきました。沈黙が破られ、続けざま「◯@!$△△⬜︎っ!!」よく聞き取れない雄叫びが。耳をそばだてていた分ビクッとなります。わらわらと集まってくる刑務官。「静かにしろ!」の怒号に叫びで応酬するルナティックな男。控えめにみて…修羅場です。

彼のその言動は何かしらのSOSの表現であるように見えなくもありませんでしたが、暴れる理由にはなりません。あっけなく保護室へ連行。自らの苛立ちを暴力で解決しようとした男の末路。ボクは暴力が目的にも手段にもなり得ない罪と罰にイコールに、しかも最短距離でつながる実にシンプルで正しい世界で暮らしているようです。

何が悲しいかって、ドア蹴りの前の小一時間ほど、一人の刑務官が辛抱強くその男の話をドア越しに傾聴していた事実。それはとても誠意を持って冷静に対峙していたようにはたからはみえて…それでも暴力でしか自己主張できない者がいる現実。そして、暴力には隔離拘束という名の暴力でしか対処できない限界。

ボクは常々ボクの人生は警視庁と法務省に搾取されていると信じて疑っておらず(今も確信している)あまり刑務官の苦労なんかを慮ることはありませんでしたが、けどそれはそれとして、皆それぞれの立場で大変なんだなあと。

話を聴いてくれる刑務官が立ち去った後ほどザワついてしまう舎房。聴くという態度の侵襲性。何故という問いの攻撃性。それでも聴くしかないという絶望にも似た希望。そのあたりについてここでは考えています。

 

その後、左足は順調に回復しギブスにヒールがついてひょこひょこですが歩けるようになりました。四つ足生活のせいで消化器系がいかれてしまい口内炎が乱発(群生レベル)したり、便通も芳しくなく(便力逼迫注意状態)、健やかならざる日々でしたが、喉元すぎて今は快勝です。そんなに大したもんではないですね、アキレス腱切るのって。時間が経てば治るって素晴らしい(プリズナーズハイ。躁転気味です)。無力の達人を目指していましたが、どうも無理そうです。持続可能な目標設定って難しいぜ。

 

今日、奥の部屋の人が満期釈放で出て行きました。「いいなあ」とは思わないと言うと嘘になりますが、それよりも「よかったね」という思いが強く湧いてきます。こんないい天気の日によかったねと。

誰かが出所していく時はみんな静かになります。今日のフロアはとても静かです。優しい時間が流れる時はいつも静かになるのでしょう。

 

それにしても暑いです。何もかもがどうでもよくなってしまうような暑さです。まだ6月なのに。(ボクだけ?)

手紙の結末もしまりません。

全て暑さのせいにして。

あっ!また空がゴロゴロ鳴り始めました。潮時の合図かも。雨が降れば涼しくなるかなあ。

ではでは、皆様も性病に、腱の柔軟性に注意してお過ごしください。

 

追伸 

セリムさんに「面会に来ていただいたのに会わせてもらえずに残念だったです。こんな日本でごめんなさい」とお伝えください。後、塚本さんにも手記の朗読は、良きに計らって構わないと。それにWさんとOくんにもよろしくと。Oくんのことを考えている時だけボクは大人になることができるようです。たぶん。

 

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竹倉史人/土偶を読む

内容とは全然関係ないが、土偶は精霊、地母神である説を素人に定着させたのは宮崎駿の功罪だと思う。

土偶を読むを読む」「土偶を読むを読むを読む」と言う続き物(?)も出てるらしい。正体を明かす(明かされる)ことへの抵抗が人類には備わっているのだろう。