収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年4月6日

外廊下の鉄のサッシの隙間からわずかに見える空はいつだって白く靄っている。

天気予報は晴れなのに拘置所の上空はいつも曇りみたいだ。

 

今日も昨日に引き続き、作業中止で感想文。今回の課題はこんなだった。

 

「作業事故の防止について」

作業事故の防止については日頃から言っていますが、とても大事なことです。

作業事故をなくすため当所は安全管理についてさまざまな取り組みを行っています。

作業を行う前の安全教育や今日の作文も取り組みの一つです。

でも作業事故はなかなか減りません。

何故でしょう。

それはいくら当所が安全管理に取り組んでも実際に作業をする人の意識が低いと「これくらい大丈夫だろう」などと気の緩みから事故を起こしていることにあります。

過去に起こった作業事故のほとんどは、作業者自身の不安全行動によるものであるとの統計数字も出ています。

ということは皆さん、一人ひとりが作業安全について決められたことをきちんと守れば、作業事故のほとんどは防げることになります。

ここでの作業で怪我をして出所後の生活に影響が出ることがないよう十分注意して作業をしてください。

特にこれから暑い季節に向けて気持ちが緩みがちになります。緩んだ気持ちで作業すると作業事故につながりやすく、とても危険ですのでそのようなことがないように充分に注意してください。

 

さて、ボクのアンサーはこんなだった。

 

この文章を読んでいて「まずは自助でよろしくお願いしたい」と宣わったいつかの総理大臣を思い出した。

事故責任は自己責任だとあくまで突っぱねる態度につよい違和感(拒否感、嫌悪感と言い換えてもいい)を覚える。

ここに書かれてあるのは煎じて詰めれば「我々に非はない。あとは君たちの努力にかかっている」という趣旨の主張である。読まされた身としては「はい、これからは十分に気をつけて作業に取り組みたいと思います」という感想しか答えようがない。(逆にその答えを引き出すための文章のようにも思えてしまう)。

気の緩みが個人の原因であるならば、その気の緩みに対する組織的働きかけが公助(ここでいう拘置所)の役目ではないか。

ミスを全て個の責任にされたのではたまったもんじゃない。

私は、現在、単独室で箱折り作業をしており、作業者同士で注意を喚起しあうような、共助が期待できる状況ではない。そもそも箱折りという作業自体大事故につながるような事態が想定しにくい。(せいぜい紙で指先を切るくらいが関の山だろう)。ただ、こうした一人きりの環境と事故を軽視してしまう認識(過信)が思いもよらぬ事故を誘発しかねないとは言い切られない。できれば、この作業中、どんな事故がこれまでに起こったのか示してもらえるとありがたい。

事故ゼロを目指すのであれば、それぞれの立場でできる(精神論、根性論以外での)具体的工夫が必要だと私は考える。

 

前回の収容中に提出した課題作文のたぐいは読んでる誰かのことを考えた(つまりは作り上げた)文章だった。だから「収監中は罰を受ける時間だ。出所してからが罪の償いだ」みたいな媚びたものに終始していた。今回は「収監で罰は全うした。あとは自由にさせてもらう。それだけ」そんなテイストでやってやろうと決めた。一部猶予法対象でもないしそれでいいはずだ。そもそもこの感想文、読まれてもないだろうし。

 

なんだかんだで一日は過ぎていく。

日がのびたなあとわかる。時計がない分余計敏感になる。

拘置所の窓に張り付く夜の闇は凄みのある黒光りで部屋を覗き込む。天上の蛍光灯は人工的な明るさで独房を隙間なく照らし出す。

逃げ場のないボクは今夜も読書が進む。

 

 

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池井戸潤/果つる底なき

組織の一員として、利益を優先させる。そのためにメカニックに私情を排する銀行員の苦悩。池井戸潤の小説を読むとやっぱり病院とか大きな法人勤務は自分には無理だなあと思わされる。