収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年5月10日

朝イチの運動。グランドをぐるぐるを歩きながらアキラとの会話。

「ここにいるとムラムラしないよね」とボクが言う。

「いやー、年代が違いますからね。ムラつくときもありますよ」と返してくるのはアキラ二十代。

きっぱりと線を引かれる。失礼しました。

彼は話を続ける。

「ボク結構(女と)やってきましたけど、性病なったことないんですよ」

若者は下ネタが好きだ。そしてマウントも好きだ。

ボクは性病についてはフルハウスに近い。そして、経験人数も彼のにゼロが二つつくくらいやってるだろう。でも打ち明けることはしなかった。これは、彼への配慮ではなく単なる恥じらいである。

 

午前中は、篤志家(元刑務官)による全国の刑務所の取り組み、昔の刑務所との比較などなどについての説明がなされる。

ボクとしては、今ここでやられていることにしか興味が持てないし、意味を見出せない。

 

午後は、隣の少年院の法務教官によるワークブックのレクチャー。

続くは、処遇主席による刑罰の歴史、規則の意味、怒りのコントロールについての講話。

「所内に細かな規則があるのは、いじわるをしてるわけではない。全員に同じ環境を与えるもの」との理屈を聞きながら思う。同じ環境であっても受け入れ方は人それぞれ。そしてそのそれぞれの精神的負荷までは推し量れない。故にハードの統一が徹底される。それが今の日本の刑務所の実際であり、限界である。

矯正指導の評価だってそう。どう取り組んだかがなんて関係ない。取り組んだか取り組んでないかの事実にしか焦点は当てられない。

その結果、有無を言わせぬ例外なしの悪魔の方程式(懲罰がなければ、刑期×0.75=仮釈日決定)がまかり通ることになる。

懲罰だけは受けぬようにとの決心が強くなる。

ちなみに懲罰ランキング三位は「粗暴行為」、二位は「口論」、映えある一位は「作業拒否」だそうだ。

 

もうだいぶ諸動作にもなれてきて、他の受刑者の動きのミスが目につくほどの余裕もできてきたが、注意を受けるのはいつもボクなのはどうしてなんだろう。悪目立ちするんだろうなあ。

今月の報奨金は………508円だった。

 

伊藤さんから手紙が来た。

手紙を読みながら…ボクはやっぱり手紙を待ってるんだとしみじみ思う。

来たばかりなのに早く出たいなあとしみじみ思う。

手紙は…見たくないものにも光を当てる大きな灯りなんだよな。

 

 

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壷井栄二十四の瞳

この本の映画化、祖母と中津の映画館に観に行ったっけなあ。珍しくきらきらした思い出。