朝イチの運動。グランドをぐるぐるを歩きながらアキラとの会話。
「ここにいるとムラムラしないよね」とボクが言う。
「いやー、年代が違いますからね。ムラつくときもありますよ」と返してくるのはアキラ二十代。
きっぱりと線を引かれる。失礼しました。
彼は話を続ける。
「ボク結構(女と)やってきましたけど、性病なったことないんですよ」
若者は下ネタが好きだ。そしてマウントも好きだ。
ボクは性病についてはフルハウスに近い。そして、経験人数も彼のにゼロが二つつくくらいやってるだろう。でも打ち明けることはしなかった。これは、彼への配慮ではなく単なる恥じらいである。
午前中は、篤志家(元刑務官)による全国の刑務所の取り組み、昔の刑務所との比較などなどについての説明がなされる。
ボクとしては、今ここでやられていることにしか興味が持てないし、意味を見出せない。
午後は、隣の少年院の法務教官によるワークブックのレクチャー。
続くは、処遇主席による刑罰の歴史、規則の意味、怒りのコントロールについての講話。
「所内に細かな規則があるのは、いじわるをしてるわけではない。全員に同じ環境を与えるもの」との理屈を聞きながら思う。同じ環境であっても受け入れ方は人それぞれ。そしてそのそれぞれの精神的負荷までは推し量れない。故にハードの統一が徹底される。それが今の日本の刑務所の実際であり、限界である。
矯正指導の評価だってそう。どう取り組んだかがなんて関係ない。取り組んだか取り組んでないかの事実にしか焦点は当てられない。
その結果、有無を言わせぬ例外なしの悪魔の方程式(懲罰がなければ、刑期×0.75=仮釈日決定)がまかり通ることになる。
懲罰だけは受けぬようにとの決心が強くなる。
ちなみに懲罰ランキング三位は「粗暴行為」、二位は「口論」、映えある一位は「作業拒否」だそうだ。
もうだいぶ諸動作にもなれてきて、他の受刑者の動きのミスが目につくほどの余裕もできてきたが、注意を受けるのはいつもボクなのはどうしてなんだろう。悪目立ちするんだろうなあ。
今月の報奨金は………508円だった。
伊藤さんから手紙が来た。
手紙を読みながら…ボクはやっぱり手紙を待ってるんだとしみじみ思う。
来たばかりなのに早く出たいなあとしみじみ思う。
手紙は…見たくないものにも光を当てる大きな灯りなんだよな。
この本の映画化、祖母と中津の映画館に観に行ったっけなあ。珍しくきらきらした思い出。