お待たせしました。
手紙を出す相手がいる。ただそれだけの現実を「ボクのことを持ってる」という妄想にまで展開できるのはボクの強みでありまして、なので村崎さんが待ち侘びている姿を想像しながらペンをとっています。
ネタを探し、言葉を紡ぎ、したためる。切手を選び、宛名を書いて、その人が封を開ける姿を想う。手紙とは実に贅沢な嗜みですね。
お元気ですか。
こちらは…寒いです。
夏日との予報通り、外は明るい陽射しに包まれているようですが、自己主張を強めた太陽から逃れ、逃げ場を失った寒気が全部この部屋に逃げ込んで来たかのような寒さです。(別に心情風景のメタファではなくリアルに震える)。
震えついでに…一行怪談を披露します。
「二度目の刑務所、あんまり嫌じゃなくなっている」
…どうです?怖くありませんか?この感慨。ボクは自分のことながらゾッとしました。
慣れたわけでも、居心地がいいわけでもないんですが、そこまで嫌で嫌でどうしようもないわけでもないという生ぬるい適応。
教育担当の刑務官が「こんなところ、来たくてくるやつなんていねえよな」と煽っても、「………」誰も無反応。この沈黙はイエスと判断されるわけですが、来たくて来たわけではないけれど、来ざるを得なかった…そんな過去の刑務所体験が役に立たなかった者たちが集まる類犯刑務所。悲しみにも似た諦観の念が漂っています。
茨城という土地柄もあるのかもしれませんが、きっと初犯刑務所のようなリカバリーへの切迫感はありません。
ここにいることが本質ではない。ちょっと面倒な事態だなあと困ってるだけみたいな。刑務所という参加する誰もが不愉快で不機嫌になってしまうアミューズメントパークで囚人という損な役回りを与えられてただ過ごしているだけ。ただタイムオーバーを待っているだけ。そんな感じです。
とはいえ、出会う若者の武勇伝に「へ〜」「すごいね〜」と頷くだけの着地点のない会話が楽であったりもして、ひねもすのたりのたりかな。
テレビをではグルメとか歌番組場ばかり。チャンネルを変えればウクライナの惨劇が。地下での生活を強いられたり、収容所に送られたりするのに比べればここはまだ恵まれているんだからボクは幸せだ……とは思わない。
人の幸、不幸はすごく個人的な観念なのです。
あ〜とりとめもない…しまりもない。カルト村刑務所の休日の牧歌的空気しか伝わらない。解脱は遠い。
まあいっか。まだ序盤ですし。とりあえず生きてます。
新海誠/すずめの戸締り
なんか村上春樹の「かえるくん、東京を救う」を思った