収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年5月6日

ボクは一人が好きだ。だけど誰かといるのも好きだ。特に育ちが悪く、頭が悪く、精神が不健全、そういう札付き的なムードに魅かれる自分がいる。彼らが集まることで醸し出される空気の匂いというか、色のようなものがいつでもボクにまとわりついてくる。そして生粋となって身についてしまう。刑務所はまさにそういう場所だ。居心地悪いけど嫌いじゃない、そういうアンビバレントがボクにはある。

 

午前中は篤志家と教誨師の講話。う〜〜〜ん…って感じ。響かない。響かない話を一時間集中して聞く修行だと思って聞いた。

午後は仮釈放についての説明。反社会的か再犯の怖れがあるかどうかをチェックして仮釈放は決定されるとのこと。規則だけで成り立つこの生活の中で、何を持ってその境を見極めるのか教えてほしい。

自分で考えて行動する機会はなし。ルールに違反すれば速攻懲罰。自律心や責任感が芽生える土壌ではない。

パターナリズムセクショナリズム

意志を尊重されない場所では意志は育つはずもなかろうに。これは、覚醒剤の再使用にも言えること。意志でやめれるって言われるたびに、意志じゃないという思いがどんどん固まっていく。

後悔と希望はセットでないと人は変わらない。そんな風に思ってしまうボクは日本の刑務所向きの人間(アディクト)ではないんだろうな。

 

運動中、たたきで捕まった20代の若人から雑居のめんどくさい人間関係の愚痴を聞く。箸のもつ部分の洗い方が雑だと文句を言われたことに納得がいかないみたいだ。仲間内での指摘は地味に堪えるってのはすごく理解できる。ボクができるのはただ話を聞いて訓練終了までのカウントダウンを一緒に数えるだけ。これじゃあ、ただの他人だよな。もっと彼のためにできることもありそうなのに。

運動終了の号令が叫ばれる。あんなにでかい声を出してよく耳が悪くならないものだ。

「気持ちを切り替えろ」と教官はたしなめる。切り替えたってここが刑務所だって現実は変わんねーだろうとボクは思う。

 

シャバの時のボクの周りの人たちは、罪の償いとしての刑務所の存在に違和感をもつ(薬物使用で収監なんてありえない)という主張をかます人たちばかりだったから、今の自分の置かれている状況が全くの意味のない時間に思えてしまうんで、何かしなきゃと意地になって本やノートに向かう。今、感じていること、気づいたことを書き留めておかなければ全て無駄になってしまう。そんな強迫観念に突き動かされてこの切ない習慣が出来上がっている。忘れてしまうことへの怖さではなく、今を消化してしまうことへの恐怖。のんべんだらりと過ごす時間も贅沢でいんだろうが今は無理だ。

 

今日は一度も怒鳴られなかった。白線も踏まなかった。(刑務所内では踏んでいい線はないらしい)。はみだしっ子矯正さる。

だが…

手紙もない。本の差し入れもない。日用品の支給もない。気持ちが空振る。このまま週末を迎えるのか…三日ぶり傷心の入浴。しみるわあ。

 

 

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塔山郁/薬は毒ほど効かぬ 薬剤師・毒島花織の名推理

大麻の裁判ってなんかスリリングさに欠けるんだよなあ。手に汗握らない。