新聞にはヤングケアラーが母親を殺害した事件の判決が載っている。周囲に助けを求める努力を怠ったと裁判官は断罪す。自助と共助と公助の見極めも自己責任で切り捨てる…ああ無情だよな。
誰とも話さないので、口の周りの筋肉が衰える。15分間、新聞を音読する。
知床の遭難にまつわる記事を探すも一行も見つけることはできなかった。
時が流れている証拠だ。
隣人がぼやいている。「もういい加減にしてくださいよ」とぶつぶつ。こんな下向きに吐き出された小さなぼやきでもしんと静まる舎房にはきちんと響きわたる。きっと見回りの刑務官にも聞こえているんだろうが相手にはしない。彼の頭の中で返答してくれている見えない誰かに任せた方がことはスムーズにおさまることを知っているんだろう。
ボクはここを出た後、薬を使うんだろうか。多分使うんだろうなあ。いや使わないのかもしれない。
迷っているのが自分らしさ。「わからない」が肩書きの惑々フォーティン(四十代)。確信を持ったり、自信に満ちてしまうと自分が崩壊してしまうから。
まあ使ったって、そのひとかけらを使うことが、世界中の違法薬物の滅亡へのささやかな貢献になるんだと考えれば救いになるものさ。
アルフィアン・サアット/マレー素描集
水色の装丁に栞の紐のオレンジが効いて実にマレーシアっぽいなあと思った。