収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年5月26日

美穂子さんから手紙が届く。

続いて伊藤さんから差し入れも入る。ちくま文庫新潮新書、文春文庫の解説目録、さらに「波」と「図書」と「鴨東通信」。伊藤さんは、一度の差し入れ3冊の上限を無視して送ってくる。

ギリギリアウトを狙わないとストライクゾーンは広がらないと言ったのは川島さんだったけ。

みんな年上の女たち。

ボクの女性の友人は姉化していく。ボクには心の姉が何人もいる。心強い。

お礼の手紙を書こう。 

 

 

その後、休養処遇は解けました。

しかし「マエニナラエ」ができず、「マワレミギ」も叶わず、「キヲツケ」すらままならない身の上ですので、工場には行けず、室内で一人きり洗濯バサミの組み立て作業に没頭する毎日です。蟄居には変わりありませんが、やることがあるって素晴らしい。空も見上げることはなくなりました。空を見てあーだこーだ想うのなんて暇人の証拠ですよね。さらば「生きる」=「考える」の日々よ。

 

解放されると気分が上がります。(まあ、ギブスだし、独房だし、刑務所だし、何も解き放たれてはいないんですが)。

ギブスの取り替えに毎週外の病院にお出かけします。(ちなみに免疫不全の方もここで診てもらっている)。手錠に車椅子、三人の警護に囲まれて救急外来からひそやかに、かつすみやかに完全監護の受診です。採血や処置の時には手錠が外されるんですが、カチャカチャと響く音…手錠はボクのアイデンティティ。顔を上げるとぱっと散る視線達。…どうもすみませんねって感じです。こういう経験を通してボクは囚人としての品格を身につけていきます。

診察が終わり、手錠がロックされる瞬間、乗り込んだ護送車が走り出す瞬間、刑務所の門扉をくぐる瞬間、独房のドアがガシャンと音を立てて閉まる瞬間、なぜだかボクは安心します。護られた気分になるというか…自由になりたいのに不自由に安心してしまうっておかしなものです。社会復帰できない精神病院の長期入院の患者さんも同じように感じているのかもしれません。

来週からはがちがちに固定されていたギブスを患部に負荷をかける具合にしていく予定で…痛いんだろうなあ。

まあなんとかなるはずです。痛いも辛いもきついも全ての状況をボクは心の奥の深いところで面白がってるフシがあるので大丈夫なはずです。

 

そうだ!誕生日おめでとうございます。組み立てほやほやの洗濯バサミを箱詰めで送りたい気持ちはやまやまなんですが、そうもいかず、来年のバースデイは口内炎なしで、ホットな中華をご馳走させてください。

ではでは来月は雨の季節です。足元に注意して歩いていきましょう。

 

追伸 不自由でも安心できる理由がわかりました。不便じゃないからです。不便を感じる機会がここにはないんです。

解説本もありがとうございます。解説本ってここでは小さなアマゾンみたいで夢が広がります。

 

 

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ペーター・ヴァン・デン・エンデ/旅する小舟

20時に眠剤を飲んだら字が読めなくなる。読んでも次の日に忘れてしまう。だからこの本をめくって、隅々まで目を凝らし眺めて…

いつの間にか深い眠りに沈むことができる。心地いいですね。