収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年5月21日

こんな夢を見た。

高速バスに乗っている。なぜかトラックとデッドヒート。トラックが白バイに捕まり、バスの運転手は誇った笑みを浮かべている。ボクは運選手のすぐ後ろの席。競う相手は消えたのにバスはぐんぐんスピードを上げていく。急カーブの連続。こんな速さで曲がり切れんのかなあって思っていたら中央分離帯を超えて反対車線の壁に激突…その瞬間全ての動きはスローモーに変わる。ボクはゆっくりと進む流れの中で窓を開けて脱出する。バスはぐちゃぐちゃの黒い塊に変わり果てる。野次馬や機動隊の網をかいくぐりインターから歩いて離れる。「羊たちの沈黙」のラストシーンのように。なぜかここから自分の動きもスローモーに変わってしまいなかなか前に進めない。

そしてボクは駅にいる。大きな、だけどさびれた駅だ。真っ白い子猫がよたよた歩いている。走ってきた若者が力強く子猫を蹴り上げる。舞い上がる子猫。コロコロと転がっていく子猫にボクは駆けつける。紫の痣が見える。ぎゅっと抱くと温かい。力を緩めた刹那、子猫は腕を抜けて小道に逃げていってしまった。どこからか現れた他の子猫たちと戯れあっている。こっちを見向きもしない。ボクは捨てられた気分になり安心した。

そこへ馴染みの売人があらわれる。肝心のネタは品切れらしく注射器しか渡せないと言われボクは意気消沈する。どうせ手にしたところで今は刑務所にいる身だから使えないからいいかという現実的な要素が夢にブレンドし始めた頃、ボクは目覚めに気づく。

 

一日中パジャマで過ごしているせいか夢がとても充実している。午前中は瞼を閉じれば眠りを見つけることができる。午後になると眠りの世界への門扉はピシャリと閉じて開く気配はない。ボクは仕方なく味気ない天井を見つめる。

もう不便には感じない。片足にも三日で慣れた。不便さを感じる機会すらないんだから。不自由は不便さえも遠ざける。

それにしても痛くない。こんなに痛くなくてほんとに切れてるのかと不安になる。無理して動かしたりする勇気はないが…

絶対安静指示のため心踊らす読書も禁止となっている。

新聞には、役所からの4630万円の誤送金を引き当てたギャンブル依存症者のニュースが載っている。

彼の運の良さ(悪さ?)について考える。家にパケが送られてきたらそりゃ使っちゃうだろうよ。役所の人と銀行の入り口まで行ったのに返金せずに「逮捕されてもいい」とネットカジノにつぎ込んだ、その自分の人生が自分の手の内に無くなってる感じが、わかるわかる。「わかってたまるか」と言われそうだから両肩に手を置いて「うんうん」とだけ頷いてあげたい。

 

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ルシア・ベルリン/掃除婦のための手引書

レイモンド・カーバーみたいで面白いなあと思った。レイモンド・カーバーは読んだことないけど。