収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年7月19日

朝の点検時間の待機中に新聞を読んでいたら怒鳴られる。音楽がなり始めたらダメらしい。そんな説明は受けてない。

怒鳴られてルールを知る。インフォームドコンセントはない。そういう場所なのだ。

注意されなければそれはアリだとみなす者たち。だからいちいち看守も口うるさくなる。ここは性悪説に支えられている世界なのである。

それは工場に出ても同じ。

作業中、ドアが開いた音に反応し顔を向けたら、顔を上げるなと怒鳴られる。そんなこと言われてもなあ。無反応を極めることは、これからの将来にどう活かされるのだろう。追い討ちをかけるように「どうして訓練でできてたことができなんだ。あっ!?」の怒号。

刑務官の怒鳴り声に被せるように誰かが洗濯バサミの材料をガシャガシャと机に乱暴に撒き散らす。仲間たちによる無言の反抗だ。

柄の悪い工業高校のよう。なんだか皆が皆、演技じみて見える。看守も囚人も敵同士ではない。共演者なんだ。

とりあえず背筋をピンと伸ばしてれば注意されにくい。あと背中もこらなくていい。代わりに尻が痛むがそれはいた仕方なし。

 

運動時間は一人体育館でひょこひょこ歩いてリハビる。一人でいる理由がきちんとあれば、一人でいることも苦痛ではない。

包帯を巻き直すたびに顕になる患部。そんなに爽快感を与えてはくれない爽快ボディシートで丁寧に垢を拭き取る。右足に比べると明らかに赤黒く細くなっている。アキレス腱自体も固く太く、悪い意味でゴツい。じっと見ていたら、ぶちんと切れて体が崩れ落ちたあの日のあの瞬間がフラバした。体って足に支えられてんだなあ。

 

毎日日記を書いているが、これは決して癒しのためではない。ますます自分の痛いにピントがあってしまうから。それでも意地のように、ってか意地そのものなんだこのピンクのノートは。

 

 

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Bharat Sikka/Wher the flowers still grow

ボクには写真を撮るスキルがない。鑑賞する感性もない。だから写真を前にできることはただじっと見つめるだけ。

じっと見つめる時間。そこにある静寂は読書の時のそれとは質が異なる。

この写真を撮った人はどんな人なんだろう。映し出された写真のフレームの外にはどんな希望と絶望が広がっているのだろう。そこには今、どんな空気が流れているんだろう。

どんな、どんな、どんな…

ボクは写真によって想像力を鍛えられる。想像力を鍛えてくれる写真が好きだ。