収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年4月13日

前略

判決は一年八ヶ月でした。

今は水戸刑務所です。昨日、東京拘置所から移送されました。

報告が遅くなってしまい申し訳ありません。

福島の伊藤さんとは物理的距離が近まりましたね。朝日の早さで確認できます。

施設はコロナに目をつけられやすく、新入は侵入であり、いつだってアンタッチャブルです。二週間の隔離処遇が義務付けられ東拘の最終夜からもう三日間連続のPCR検査。鼻血が出そう。

 

今回も独房。勝手の知れたしつらえに初めての場所なのに懐かしさを覚えます。郷愁。懐かしいは淋しいによく似ています。

問題なければそのうち整体訓練とか工場とか刑務所っぽい時間が待っているはずです。

楽しみといったら違うんですが、前のときほど嫌ではありません。

底つきの回避体質ゆえの経験を糧にしてしまう自信というか、底抜け人間の諦めなのでしょう。

とはいっても八王子、府中と続く地獄めぐりはここで終わりにしたいものですが…

 

茨城に来るのは、そうあの伊藤さんと宇宙っぽい施設にドライブして以来です。

刑務所なので地元ならではと感じることなどないだろうと思っていましたが、最初の晩餐に「納豆」が。夕食に納豆。…初体験でした。とても美味かった。美味しいは救いですね。

それと「茨城訛り」もなんかよくって…あまりに完璧すぎる刑務官の号令などは、小さな針のような怒りを聞く者に与えます。命令形feat.訛り、は言葉が突き刺さらなくていい。「あっ?今訛ってた?」とその混乱が痛い場所への直撃を逸らします。茨城弁って語尾がリスの尻尾みたく、くるっとひり上がってなんだか可愛いですよね。声と音と思いを訛りがうまく繋ぎ、伝える相手ごと丸め込むようという感じで、まろやかなムードになります。やっぱり「抜け感」というか「ゆるさ」って大事なんだなあ。

一年もいれば茨城シンパになるかもしれません。

 

今日は紙粘土でできた小さな手のり達磨の原型らしきものを木の棒みたいなものでひたすらこすり続け、できるだけ凹凸をなくしつるつるを目指す作業に没頭してました。その集中に見合わず、午前中でたったの三つしか作り上げることができず…作業もそうですが、どこで気を入れて、どこで気を抜けばいいのかよく掴めてなくて、とりあえず疲れます。

 

そうそう、福島の地震は大丈夫だったでしょうか。

あの直後、伊藤さんが夢に出てきました。花巻駅のマルカンデパートの展望レストランで食事をしている夢です。ボクはまだ行ったことがないのでいつか行きましょう。

地震もそうですが、コロナ、戦争…不穏なニュースが終わるのとボクの出所とどちらが先になるんでしょう。

どちらも早めに切り上げてもらいたいものです。

また神楽坂で飲めるいつかを夢見る今日この頃です。

 

追伸 眠前薬のトラゾドンアモバンに変わりました。眠りが深くなった気がします。朝もスッキリです。「よく効く」じゃなくて「よく合う」という飲みごごちでボクは好きですね。

 

 

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島本理生ナラタージュ

19時に眠剤を飲んでから読んだ十数ページの記憶がまるっと消えていた。眠剤の恐ろしをを知る。

愛ではなく恋って感じだった。

ラストあたりの膝に釘が刺さるシーンが痛すぎて内容が入って来ず。ボクには向いてない本でした。