いつものように訓練工場へ出役する。
運動が終わり、それぞれ食堂へ呼び出され、配役先が申し渡される。
最後に訓練担当がボクに言ってくれたのはこんな言葉だった。
「毎日いろんなやつを見てるとやり直しがききそうなやつとそうでないやつとは大体わかるようになる。やり直しがききそうなやつは3割くらいしかいない。お前はまだ大丈夫だ。ただな、お前はふわっとする時がある。訓練中もそうなる時があった。そういうところが何度も捕まる原因になってるんじゃないのか?もう二度と来ないようにしっかり生きろよ」
言い当てるとはこういうことだ。「ふわっとする」まさにそれだ。
刑務所の人の喋る言葉が響いたのはこれが初めてだったかもしれない。
ボクは6工場だった。
6工場という情報だけでは、炊場や衛生、図書工場などと違ってどんな場所なのかイメージできない。
いったん部屋へ戻り、私物をまとめ新しい舎房(同じ棟の2階)へ移動する。引き続き今回も独居だ。
その後、工場へ連行される。工場には誰もいない。ちょうど運動の最中のようだ。
グランドに出向く。みんなリレーをして盛り上がっているのが遠くからもわかる。近いうちにあの輪に参加することになるんだろうなあと思いながら眺めていた。古きよき刑務所といった感じだ。
担当刑務官に挨拶する。係と呼ばれる工場のスーパーバイザーのような先輩受刑者にも挨拶する。とりあえず会う人会う人に挨拶する。6工場には現在25人いるらしいが、名前と顔が一致するまでにどれくらいかかるのだろう。
30代の若者たちに同年代と思われてしまう。どう接したらいいのか距離感が掴みづらい。
運動が終わり、工場へ戻る。
6工場は洗濯バサミの組み立て作業を行なっているようだ。モタ工場と呼ばれるやつだ。まあボクにはHIVというエクスキューズがあるから仕方ない。でもこれだったら訓練中と同じなので勝手知ったるなんたらや。
それにしても若い人も多い。どうしてこんなモタ工にいるんだろう。
後で教えてもらったんだが、この工場は罰工場らしい。懲罰を繰り返し行く先がなくなり流れ着いた人も多いようだ。
ボクらはみな倫理障害を患っている。超えてはいけない最後の一線が見えない。いや、見えている。見えてはいてもその線を超えた先の想像ができない。いや想像できている。想像しても超えてしまうんだ。ある種のはみだし症候群。その一線を安心安全の担保にしている一般社会の市民にとっては意味不明な危険因子なんだろう。
そんな意味不明な者たちが集まる訳あり工場なのに、この工場なんだがおおらかなムードに包まれている。
注意されないように用心して過ごすのではなく、注意されれば正せばいい。そんなルールの意味あいを変えてしまうようなゆるさがある。
目の細かい網ではどうにもならない者も太く大きな網なら御すこともできるってやつなのか。
これ以上落ちる先はない。詰んでしまった人生はここからはじまる。
中条省平/COM傑作選上1967〜1969
手塚治虫、こえーよー。