お手紙、本の差し入れありがとうございます。
ハウジングファースト三部作さっそく読みました。
思ったこと感じたことを綴ります。
現在の住まいをめぐる惨状は社会の変革に追いつけない国や行政のテンポの遅さ、やる気のなさが原因なんだと思ってましたが、スピードやスペックの問題じゃないんだと。そもそもの目指すベクトルが違っているせいなんだと。怖いと思いました。
心身に健康な普通体型シスジェンダー異性愛者日本人成人男性というごく限られた層だけをターゲットにして優遇する社会構造の脆さがコロナ禍の東京で(皮肉にも各支援団体の活動にて)あらわになったように見えました。しかし大きな事件を起こすのはこのピンポイントに属する(本来恵まれているはずべき)男性ばかりという救われなさ。怖いと思わされました。
自分に何ができるだろうと考えながら………モチベーション、今は上がりません。
ちょっと読む時期を誤ったのかなあ。もっと出所が近づいてから改めて再読します。
他の収容者と「出たら何するの?」なんて話をしていて、ボクは「ホームレスの人とかの支援をするんだ」なんて答えて、そしたら「あーあるよね」なんて言われて、でもきっと貧困ビジネスだと思われてるっぽくて、「専門のクリニックもあるんです」なんて伝えても、きっとブラックな医療機関だと想像されてんだろうなあって。そして会話は大体が悪巧みに流れて行きます。
刑務所のことを犯罪大学と呼ぶ人もいますが、どちらかといえば悪のハローワークといった方が実態に近い気がします。優れたスーパーバイザー、OJTに手厚い職場、あらゆる方面に充実が図られてアングラなネットワークはたちまち形成されます。ただ、これはいわゆる犯罪傾向の進んだ君たちと断ぜられるような個人の資質に起因するものではなく、外とのつながりが一切遮断される閉鎖的環境のせいだとボクは考えていて、そして憂いてもいて………悪を集めて閉じ込めて悪い話をするなって方がおかしい!
だからこそ真っ当なカタギのサポートにつながることは、もうそれだけで大きな更生であるようにも見えて、支援をするときには前のめりになんなきゃなあと、盛り上がらないモチベーションなりに思ったりするわけです。
そうそう8月10日の朝刊に稲葉さんを発見しました。懐かしかったです。
昨日の新聞は一部の記事がべったり黒塗りで消されて配られました。高槻での殺人事件の容疑者が福島署で自殺した件についてだと思います。いくら黒塗りしたってテレビのニュースで全部わかっちゃうんですけどね。それにしても遺書があったのを把握していながら止めれなかった警察のお粗末さ、遺書があるのを把握されながら止めてもらえなかった本人の悲しさ…なんだかなあ。
柄にもなく社会派な手紙になってしまいました。こんなキャラ崩壊…生活に彩りがないので仕方ありません。路上の人たちがやけに政治について語りたがる理由は今ならわかる。色々学んでいます。
実り多い日々です。
稲葉さんもお体に気をつけて過ごしてください。いつもありがとうございます。
追伸
帰来先、つくろい東京ファンドのシェルターでリトライしてみました。よろしくお願いします。
稲葉剛/ハウジングファースト三部作。
原論は『ハウジングプア』。各論は『閉ざされた扉をこじ開ける 排除と貧困に抗うソーシャルアクション』。実践編が『コロナ禍の東京を駆ける: 緊急事態宣言下の困窮者支援日記 』。そんな風に位置付けて読んだ。