収監ダイアリー

虚栄心、自己治療、責務、手段、自己実現。晒す限りは活かしたい。

2022年5月25日

休養処遇は終わるって聞いたのに、今日から作業はじまらないんだなあ。

 

石ころひとつさえも持ち出せないし、持ち込めないこの場所は、かつて少年刑務所だったらしい。少子化のあおりをくって収容者となるはぐれ者の対象を少年から成人まで広げたんだろう。

遠い昔、この部屋から空を眺めていた少年は今、どうしているのだろう。同級生だっているはずだ。…同級生ってなんか苦手なんだよね。生々しすぎてセンチメンタルになる。

ピカピカだったこの部屋を想像しようとするけれど、うまくできない。どこまでも剥がれ落ちるペンキ、塗りつぶされた落書き、けばだつ畳、けっして落ちない便器の染み、錆に包まれた窓枠のネジ、サッシの網と同化してしまった羽虫の死骸、部屋側からしか磨けない薄汚れた窓ガラス、覗き込む太陽、忍び込む闇。全て年季が入ってる。ここはいつだって囚人が一番新しい。

 

今日も寝たきりを覚悟していたら午後過ぎに医官がやってきて「ただいまを持って療養処遇解除」と申し伝えられる。パジャマから舎房着に着替えたら洗濯バサミの材料が部屋に運び込まれる。だるまさん磨きかと思ったら違った。洗濯バサミかあ…洗濯バサミってあまりに用途がイメージできすぎちゃうからロマンがないんだよね。だるまさん磨きは製作だけど、洗濯バサミは生産って感じだからさあ。工場だったら大勢でコキコキ、カサカサ音の中でやれる分ダイナミズムがあるけど…あれは昼夜問わず桑の葉をカサカサと貪り続ける姿の見えない蚕たちの集う養蚕場の不気味なムードと底知れぬパワーがあって、我を忘れる集中(ゾーン)に入れて心地いいんだけどさあ…一人きりでやる洗濯バサミってのはシンプルに侘しいぜ。

 

ゆっくりゆっくりと日が暮れていく。しばらくしばらくは辺りは明るい。だけど気づいたら夜の闇に包まれる五月の空。暗さでなく寒さで今日の終わりに気づく。名残惜しくなんかはない。充実もやりがいも実感も誇りもいらない。「昨日楽しかったよね」よりは「今日終わったね」の方が断然喜ばしい。今日が終わったこの事実だけが何よりのご褒美なんだから。

 

f:id:cubu:20231108065302j:image

林家彦三/汀日記

落語家さんの書くものだからかなあ。半径1メートルくらいの小気味いい動作性みたいなものを感じられる文体だった。