土曜の昼下がり。
週明けまでに、「遵守事項46項目」を全部書き写すという課題を半日かけてやる。
書き写させることで、ルールを知らなかったとは言わせなくさせるんだろう。つまりは、説明する時間の省エネ化。
規律が個性を隠す。刑務官も受刑者も。個のない関係。個のない世界。ここに書かれてあることは刑務所教の戒律であり、ボクはカルト集団に入会したんだと理解している。
我慢はよくないってわかってんだけどなあ。
我慢して、我慢して、我慢して…我慢できちゃったことが仇になってここまで来てしまった。ちゃんと必要な時に自分を心置きなく荒れさせてあげれればよかったんだとわかっているんだけど。
饒舌な言葉たちは、ボクを鉄壁に守って隠してくれていた。ブログを書き始めて言葉の用い方が変わった。饒舌な言葉たちはボクをつまびらかに晒し始めた。自分のガードの仕方が変わってきたんだ。
ボクの本音の手触りはどんななんだろうという想像。社会との接点としてのブログ。
いい傾向だと思っていたけれど、ここにきてまた元の木阿弥に。
自分の言葉を伝える場面がここではほとんどない。
手を洗ってタオルで拭こうとしたら、タオルを引っ張るわずかな圧でタオル掛けそのものが落ちてしまった。
加重がかからないよう首くくりの予防なんだろうが、死へのアクセスがこんなに容易く企図されてしまう(と予測される)場所にいる現実が悲しい。
河合隼雄/「出会いの不思議」
「それぞれの時代、文化は、その特有の「意識」をもっており、多くの人はそれを「正しい」と考え、それを同一化して健康に生きている」(作中より)。
なるほど。ということは、ボクはただ、今の日本的健康にそぐわなかっただけなのか。
だけど、そぐえなくてよかっとも思っていて、ボクはボクのこの不適応を真っ当なズレだ認識することにした。
「人間は何かに依存せずに生きていけるはずがない。概念としては、依存と自立は反対かもしれないが、生き方としてはこれらは反対ではない。依存しつつ、依存をどのように生きるかによって、その人の「自立性」というのが確立されてくる。問題は依存することでなく、依存の認識を欠いていたり、やたらに拒否したりすることではないだろうか。」
依存と生きることを分けずに捉えるこの本質的理解による語りは当事者としてありがたい。
だから、河合隼雄の文章は沁み方が温かく、頑張ってみようかなあと思わせてくれる。