覚醒剤をやって、覚醒剤をやめれなくて、覚醒剤をやめなくて、覚醒剤をやめたくて、覚醒剤をやりたくて…ボクはここにいる。
拗れてますね。こんな風にごちゃごちゃしてるやつよりも、「やめるつもりはいっさいない」と言い切ってる者の方が案外いい顔をしている。
これリアルな話。「やめてます」よりも「やめません」の方が言葉としても圧倒的に力はある。「使ってます」なんて言えば確実に皆が振り返るしね。ただし「やめない」って宣言してるやつの周りには、使ってる人間以外、人がよりつかないのも現実。
注目はされるけど、避けられる微妙な存在。
「やめようと思っている」と言っといた方が人は避けない。
っていうのもあって、とりあえずボクは「やめたい」と言っている。
やめれるかどうかは二の次。まずは「やめたい」と言っておく。
依存症者の「やめたい」に興味を示す人たちは、きっと想像力のある人たちだ。わからないものをわかろうとする好奇心のある人達だ。
ボク好みの人種である。
「やめたい」は人たらしの呪文だ。どんどん使っていこうと思う。
篠田節子/家鳴り
官本にあったので借りてみた。
「快活で働き者で日焼けした腕は逞しく…」冒頭のこの文章を読んで、一回読んだことのある本だと気づく。
どうして表紙とタイトルでそのことに気づけないのだろう。