この刑務所では基本、第二、第四金曜は矯正指導日になる。
作業もなく、軟禁された部屋で一人黙々と作文に打ち込むインドアで無口な一日となる。
被害者の手記やら加害者の手記やらが流されるラジオ放送を聞いての感想。カンブリヤ宮殿やらガイアの夜明けやら新自由主義系の録画番組が流されてそれを鑑賞しての感想。あとは読書感想文と課題作文。これら4つをA4用紙一枚に埋めなければいけない。
コンセプトは、反省、更生、立ち直り…そんなとこだろう。
ところがボクときたらこの後に及んでも、身を持ち崩している自覚がないので、立ち直りなさいって言われてもよくわからない。「倒れてないっすよ、オレ!」って逆に混乱してしまう。
まあだけど、刑務所において正直な態度の表明は間違いなく損であり、それはそれでめんどうな事態になる。仮釈のため…仮釈のため…と呪文のように唱えながら机に向かう。
今日の「心の叫び」と名づけられたラジオ放送への感想文はこんな文章に仕上げた。
夫を殺された妻の手記だった。
加害者への恨みが全犯罪者への憎しみにつながる様がえらくリアルだった。しなくてもいい不幸な体験で負ってしまった傷はその人の全て変えてしまう。もちろん悪い方へと大きく変える。
ボクは誰の何を変えたのだろう。
ボクは覚醒剤を使って収監されたのであるが、覚醒剤を使って暴力を振るったり、危険運転をしたり、誰かに直接的な危害を振るうことはなかった。覚醒剤がアルコールやタバコのように違法薬物と指定されなければ、ただの嗜みとして、逮捕されるような事件も起こさず、家族や周りの人たちを悲しませることもなかったに違いない。
じゃあ何も悪くないじゃないか!とも言い切れない。
やはり、覚醒剤にはよくない側面はある。
例えば…ボクはセーファーセックができなくなりHIVに感染した。長期的に見ると仕事のパフォーマンスも落ちるはずだ。それに普通に考えて、刑務所に行くリスクを躊躇せず超えてしまえる精神状態なんてやはり真っ当じゃない。
自分の人生を大切にできなくなってしまっていたのだろう。
薬物事件の被害者は自分自身なのかもしれない。自分の人生を充実させようと薬に手を出して、自分の人生を台無しにしてしまう。ボクはボク自身の人生の価値観を変えてしまったのである。
もっと自分を大切にしろという心の叫びに少し耳を傾けなければと思わされた。
なんてね。
自分の人生を大切にしようが雑に扱おうが自分の勝手だろうというのが本心だが、そんなことは書けない。
あー、こんなでっちあげを月に2回も書き続けなければいけないなんて…刑務所は酷な場所だぜ。
中島義道/私の嫌いな10の言葉
哲学者って…かなり難しいことを考えてばかりいるとこんなにも性格が悪くなってしまうのかあ。気持ちいいほどの社会不適合っぷり。
ボクが矯正指導日のラジオ教育に感じる嘘くささや納得のいかなさを全てこの本が説明してくれた。すっきりした。