覚醒剤事件は被害者のいない犯罪である。
被害者がいないので加害者もいない。
見方を変えれば、ボク自身が被害者であり、加害者である。
ボクはボクに贖罪せねばならないのであろう。
ボクには覚醒剤がダメな薬物であるという理解はある。
ボクにはボクがバカな男であるという自覚もある。
だけど覚醒剤を使うことがこんな罰を受けなければいけないほどの悪いことなのかという疑問も常に持っている。
この疑問を捨ててしまえないほどの冷静さは保っている。
ということで、今のボクには罰を受けているという感覚だけで、罪を償っている思いはない。一切ないのである。
罰を与える人たちに思うこと。
ボクは覚醒剤をうまくやめられなかった責任を罰として償っている。
あなたたちはこの事実をどう省みているのだろう。
薬物事件の再犯率は相変わらずに高いまま、のんべんだらりとアリバイ作りのように何年も変わらないビデオ教材を見せて感想文を書かせるだけの矯正プログラムを繰り返し、失敗したら「またか」とため息をつく。
どういうつもりなんだろう。
罰を与える者の覚悟と責任。
ボクの人生に対し、罰という名のもと干渉するのであれば、あなたたちにもその結果に対する責任があるはずだろう。
なにもボクの罪を肩代わりしろと言ってる訳ではない。
あなたたちには、あなたたちのボクに対する処罰行為の責任があるんじゃないかってことを言いたいんだ。
ボクは罰を与えるあなたたちの職域確保のために何度も何度もスリップ(再使用)している訳ではない。
スリップが華麗なステップに変わる瞬間をあなたたちは見たくないのか。
今のやり方で見れると思っているのか。
がっかりするだけで満足できるのか。
本気でやめたいという欲があるからこそ、きっちりとあなたたちの責任を問おうとボクは思うんだ。
村上春樹/夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです
「理想主義で楽観的で愛を信じている」だって。なんだ春樹もオレと一緒じゃん。