朝起き「また今日も休みかあ」と思える贅沢。
空はぐずついている。ボクの鼻もじゅるじゅるいっている。
訓練生用のワークブックを仕上げようと、机に座る。とたんに土曜の邪念がわく。
前に進め!…ボクはどこに向かっているのだろう。
気をつけ、礼!…ボクは何に頭を下げているのだろう。
きびきびとした諸動作ができるようになって、いったい何がボクの中で変わるのだろう。意味がわからない。意味は必要とされない。
自分を騙し上げることが目標をならば、ボクは全くの劣等生だ。
ワークブックを諦めて布団に寝転がる。
ボクはソーシャルワークについて考える。
もう長いことソーシャルワーカーを名乗って仕事をしてきたけど、依存症になってから初めて自分をソーシャルワークしてあげれることの大事さみたいなものに気づいた。
自分に対して上手いソーシャルワークができないソーシャルワーカーってちょっと信用ならないなあ。
ボクはまったくできていなかったし、今もできていない。
ボクはボクごときのソーシャルワーカーが手に負えるような病者ではないのである。
誰かを頼らなきゃなあ。誰がいる?
塀の中にはいない。
穴に落ちた者は、その穴の中にいる自分に気づいた相手が上から土をかぶせてこないと信じて、ようやく「助けてくれ」と叫ぶのだから。
穴の中の一日が過ぎていく。
夕食は肉じゃが。肉じゃがのじゃがいもが大根だったことに気づいた瞬間、庶民料理が貧乏料理に変わる。
藤沢周平/日暮れ竹河岸
官本の裏表紙に貼ってある貸出履歴を見ると、その人気っぷりがわかる。読むというより浸るという感覚を藤沢周平の本は与えてくれる。